師匠の引退レース
今でも忘れません、2022年12月5日の話です。
朝イチに突然、滋賀県の元競輪選手から電話がありました。
こんな朝になんだよ〜と電話を取ると
先輩「岡田さん(僕の師匠 岡田裕康さん・滋賀 72期)、今日、向日町でラストランらしいぞ!」
と。
ぼく「えええ!?何も聞いてなかったですけど!」
先輩「誰にも言ってなかったらしい」
keirin.jpを見たら もう師匠走り終わってるじゃーーーん!
どうも、師匠のラストランをリアタイ視聴失敗する弟子です。
こんなもん、時代が時代なら切腹ものですよ。
競輪選手のラストランといえば、馴染みのある選手に囲まれ、同県選手、同期や弟子、兄弟弟子が駆けつけ、たくさんの花束を受け取り、地区や先輩後輩も関係なく参加選手の皆から「お疲れ様でした」と称えられ記念写真を撮る、そういう瞬間です。本来は。
…まあ、多分ぼくの師匠はそういう茶番をやりたくなくて、消えるように業界を去ろうとしておられたんだと思います。
そういう人なんですよ。いつも多くを語らず、寡黙に男の背中を見せてくる職人気質の硬派なタイプの方でしたから。
現代人解釈ですげえ悪く言えばスカしてるタイプ(コラコラ)。
一応、以前から間もなく引退するという話、時期は未定、という話は聞いていたのですが…。
さすがに引退レース日くらい教えてくださると思っていましたから(笑)。
きっと、引退レースは誰にも伝えず静かに去って、後で仲のいい数人とお疲れ様でしたの会でもできりゃ万々歳ってなもんだったんだと思います。
まあそんな渋いスタイルもカッコイイですけどね。
とはいえ!
現役選手としては唯一の弟子であるぼくにすら、引退レースの日を教えてくれないのか!
ぼくは呼ばれてもよかったんちゃうか!?
まったく、同窓会にも呼ばれなければ師匠の引退レースにも呼ばれないのか!
なんて1人でぷりぷりと盛り上がりながら、超、超大急ぎで小綺麗な格好をして、花屋さんで花束を買い、全速力で引退レースの地、京都向日町競輪場へGO!
幸いにも、隣接県での引退レース。
呼ばれてなくても駆け付けるのが、そりゃあ弟子ってもんでしょう!
爆速(法定速度)で現地に到着した僕は選手管理に電話をかけました。
「僕の師匠の岡田裕康さんがラストランだったそうですねぇ!(謎の喧嘩腰)
僕が呼ばれておりませんでしてェ!今から花束を渡しに行くのですがよろしいでしょうかァ!オオ?
門を開けィッッッ!!!」
いや、こんな言い回しは流石にしてませんよ(笑)。
「花買ってきたので渡してもいいっすか…?」
的な感じです。現実は。
しばらくして管理課長から返答が
「新型コロナ対策で、開催部外者は入れないのよ…ごめんね」
あちゃ〜!現地入りしてからこれですよ!
この計画性のなさ!
そう、師匠の引退レースが開催されていた2022年当時は新型コロナウイルスが5類になっておらず、なんなら対策が最も厳しい時期だったのです。
抗原検査やPCR検査キットの陰性結果がなければ競輪場の門すらくぐれないような状況だったんですよ。
※コロナ禍当時の様子はコチラの記事を読んでね
【競輪参加後に陽性者が出る仕組み】
【競輪界とマスク】
やるじゃねえか…!これが大人の対応…勢いで責め立てても、ルールには勝てねえよ…!
まあ実際、引退レースとはいえ、コロナ禍の時代にお花を渡しに開催部外選手が大量に集まってしまうとクラスター待ったナシですからね。
僕が呼ばれないのは必然だった訳です…。
引退セレモニーに招待されなかった、という訳じゃなく、先述したような“同県選手が集まって、花束を渡し、みんなで写真を撮る引退セレモニー”は、そもそも開催されていない、いや、できなかった…という訳です(もちろん、師匠だけではなく、コロナ禍の時期に引退した選手は全員平等に寂しい感じで引退していかれました。なんか悲しい話ですね)。
まあなんだ、ひとりで盛り上がってたけどな、よかったじゃん。誘われてない訳じゃなくてさ。
しかし、せっかく花束買ってきたので、何とか渡せませんか?と聞いてみると、「岡田くんは○時に競輪場出るらしいから、悪いけど待っといてくれる?」
と選手管理課長。
田村選手、まさかの出待ち待機。
まさか競輪選手になって競輪選手の出待ちをする羽目になるとは思わなかったですよ。
けどまあ、会う機会を得られたので結果オーライですね。
しばらく大人しく待っていると、荷物片付けを終えた師匠登場。
「お疲れ様でした!」と無事に花束を渡せました。
お花を渡すシーンとか、ツーショットでもあれば良かったんですけど、そんなものはないッ!
流石に師匠を自撮りに誘う勇気はありません(笑)。
その日は突貫だったので花束だけ渡して帰りましたが、後日、引退記念品…という程のものではないのですが、イラストを贈りました。
額縁入りですよ〜。
当ブログを熟読して下さっている方は「あの方の水墨画だ!」とお気付きになりましたかね?
奈良競輪場食堂の某神絵師に描いていただいた、記念イラストです。
メッッチャ喜んでくださいましたよ!
僕の師匠である岡田さん、40代になってから初めてのS級をとり、びわこ競輪が廃止となった後、競輪場施設が潰れるかもしれない…という一番ややこしい時期に滋賀支部の支部長を務めておられた苦労人です。
しかも、その時期にはSS11騒動なんかもあって、本当に波乱の支部長生活を送っておられました。
そんな地獄のタイミングで僕のようなド素人キモオタを弟子として引き受けてくださり、しかも36人期だった最も厳しい時期の競輪学校に1年で合格させてくださった神様です。
まあ、僕は圧倒的マイペースかつサボり症なので、デビュー後はあまり良く思われていない節もあった気がしますが…(笑)。
これは僕がゼロから自転車をはじめて半年くらい経った時の貴重な写真!
ガラケー時代の写真なのでめっちゃ画質が荒いですが…(笑)。
左が師匠、自転車の上がぼく。
当時の僕、なかなかヒョロいですね。
ツーショットではないながら、師匠と共に写っている(僕の中では)貴重な写真です。
師匠は、40後半になるまで「落車で鎖骨を折った事がない」と自慢しておられましたが、その後初めて鎖骨を骨折し、それに連鎖して腰を壊し、色々とガタが出てしまったようです。
紆余曲折はありつつも、元を辿れば一度の落車が原因で引退を決意するに至る訳ですから…。
いやぁ、競輪選手、ホント怪我には気を付けないといけませんね。
まあ僕は齢29歳にしてもうポキポキと全身の骨を折ってますから?
今から気を付けても遅いんですけどね?
なんて話は置いておいて…。
30年弱の現役生活、本当にお疲れ様でした!
なんとなくこの師弟ほのぼの(?)エピソードを書きたくなって、急に記事にしてみました。
もう1年半も前の話なのか…!
エピローグ的話ですが、その後、師匠とは滋賀県の選手の結婚式の際に顔を合わせたので、近況などを伺いました。
多分、今後ぼくに人生の転機があれば、親の次には師匠に報告するでしょう。
やはり師匠と弟子というのは特別な関係なのです。
という訳で、師匠の引退レースにまつわる弟子のてんやわんやエピソードでした!
この記事と平行して、この「特別な関係」である師弟関係についての話題を書いています。
この時代に師匠が必要な理由や、弟子入りする際の流れなんかも書いているので、記事が更新されたら是非見てね!(宣伝)(次回更新がこのネタだとは言っていない)
ではまた次回〜!
1995年3月30日生まれ。滋賀県出身。 日本競輪選手会 奈良支部所属107期の競輪選手。現在はA級2班。同期には新山響平、山岸佳太、簗田一輝など。 ……以上はすべて仮初めの姿であり、本業は某アイドルのプロデューサーであるともっぱらの噂。 ドール、カメラ、声優など、さまざまな「沼」に足を踏み入れている。