今の時代に必要?師弟制度|DMM競輪

今の時代に必要?師弟制度


前回、ぼくと師匠の引退レースのエピソードを書きました。

師匠が誰にも言わずにしれっと引退しようとしたのに、なぜか情報が漏れた挙句、ぼくの計画性のない動きが相まって非常にほのぼのとしたエピソードでしたね(?)。


さて、この不思議な「師弟関係」という概念。

時代錯誤…と言うか、そもそも現代では滅多に目にすることがない文化ですよね。
 
今でも師弟文化が存在するのって、武道や文芸などの「道」の世界や、一子相伝の職人の世界、芸能の世界など…。
 
また、我が公営競技、三競オートの世界も、師匠と弟子という関係が結ばれがちです。
 
今回は、競輪界においてこの師弟という関係って、今どき必要?という点について論じていきますよ〜!
 
 
 
【文章回です。長いかもしれんので気合を入れて読んでくれ!】
 
 
 
弟子入りする時
 
まず、皆さんは素人が「競輪選手を目指すぞ!」となった後にどうやって師匠と弟子という関係が結ばれるのか、あまりイメージがついていないと思います。

直接、競輪選手の元に行き土下座でもしながら
 

「弟子にしてください!」

 
「ワシはもう弟子は取らん(暗い過去を抱えているような雰囲気)」
 

「それでもッッッ!あなたの弟子になりたいんですッッッ!」
 

「……。(この若者と共に過ごせば、暗い過去を払拭できる日が来るのかもしれない)」

「わかった。プロの道は厳しいぞ、耐えられるのか」
 

「死んでも食らいつきます!」
 
 
みたいな、漫画みたいな直談判パターンはほとんどありません(笑)。
 
 
流れとしては
  

競輪選手を志す



競輪選手会に問い合わせる(競輪場に「選手志望」だと言えば繋がる)



進路として競輪選手という職業を選ぶのであれば相当なリスクが伴うため、また競輪選手養成所はなかなかの狭き門のため、若年であれば支部長なり責任者が親を交えて面談

社会人であれば本気であるか、金銭的に現実的であるか判断



志望者が本気であれば、愛好会や実走行で適性をチェックし、最低限の素質があれば当該支部の練習生として登録



選手会にて、師匠になれる選手を募集



手が空いている選手が「じゃあ僕がやります」と手を挙げる

手を挙げる人がいなければ支部長や役員が引き受ける



師弟成立 トレーニング開始
 
 
といった流れです。
 
えらく業務的ですね(笑)。

イメージと違いましたか?
 
でも、現実はこんなもんです。
 
 
僕の場合は、高校生当時に、当時の大津びわこ競輪場、競輪選手会滋賀支部に直接伺いました(今となってはアポ無しで失礼な話ですが)。
 
まあ、基本的には選手会各支部事務所には常勤の女性事務員さんがおられるので、優しく対応していただけましたよ。

競輪学校の試験のことや、実際に目指す場合の流れ(上に書いた感じの流れです)、当時は競輪学校の合格者が36人だったので、相当に厳しい事を告げられました。
 
その後、改めて愛好会に参加して選手会役員と面談し、練習生として試験に向けて練習しました。
 
まあ、無鉄砲に事務所に行ったこと以外は上記の流れそのままですね。
 
 
僕の場合、師匠は当時滋賀支部の支部長だった岡田裕康さん(72期 引退)が引き受けてくださいました。
 
家がめちゃくちゃ近かったこと、偶然にもぼくの祖父が中井光雄さん(期前)と知り合いだったことで、中井光雄さんの弟子である岡田さんが引き受けてくださった感じです。
 
家がめちゃくちゃ近所なので、わざわざ僕の家に来てくださって、家で親と面談をしてくださいました。
  
僕の場合は偶然でしたが、選手の知り合いがいたり、関係者の仲介を受けて選手個人に連絡がいく場合は自動的にその選手の弟子になるパターンが多いです。
 
 
さて、晴れて師弟関係が成立し、練習生となった訳ですが、師匠は素質のない人間を競輪選手にしてくれる魔法使いではありません。
 
そして、師匠は個人事業主である競輪選手。
 
自分の生活もありますし、付きっきりで練習計画を立ててくださるコーチでもありません(まあいざ一緒に練習する時は色々とメニューを考えてくださいますが)。
 
 
ただの他人じゃん!
 
 
では、この師匠と弟子という関係、なぜ必要なのでしょうか。

 
 
競輪界は責任が付き纏う世界であること
  
特に一子相伝の要素がない競輪界、師弟関係ってなんで必要なの?

ある程度の指導はしてくれるとは言え、コーチではないし、元々合格できない人間を合格させてくれる訳ではない。
 
そんな関係性なのに、練習生を弟子として管理下におく必要ってあるのか?
 
まあ、結論が小見出しになっているのでアレなのですが…。
 
練習生はプロと同じ土俵で練習をする必要が出てくるのですが、その責任が重すぎるのです。
 

言い換えればただの素人である練習生が、プロと同じ競輪場に入って、同じ走路に出る。

この時点で、かなりアンフェアな状態なのはお解りいただけますか?
 
 
身体が資本で、賞金を稼いで生活している競輪選手。
 
それを目指す身とはいえ、賞金を稼ぐ訳でもなく、まだ何者でもない練習生。
 
もし、練習生が競輪選手と同じ走路で走行し、何かの間違いで落車をさせてしまったら?
 
競輪選手同士の落車であれば、「お互い様」の精神のもと大きな問題になる事はありません。
 
ですが、もし、練習生が誰の管理下にも置かれていない状態で競輪選手を落車させ、稼ぎを減らしてしまった場合、最悪賠償問題にもなりかねませんよね。
 
 
そう、そもそも練習生は、師匠の立ち会いや他選手への委託がなければ、競輪場にすら入れない立場なのです。
 
 
そんなヒヨっ子の練習生が、いち自転車乗りとして走路に入る場合の保証人であり、責任の根拠となるのが師匠という存在なのです。
 
 
これは部活動で想像してもらうと分かりやすいのですが。

選手が競技中に事故があった場合、(もちろん責任は本人にありますが)競技スキルの未熟さを親や家族の責任として追及するのって何だか違う気がしませんか?
 
やはり、顧問や指導者に責任が発生してしまいますよね。
 
練習生という宙に浮いた存在には、キチンとした所属がないと責任の所在すら宙に浮いてしまうのです。
 
かと言って、いち個人事業主であるだけの師匠が弟子の全責任を負わないといけないという訳ではありません。
 
あくまで、弟子が責任を果たせないと判断したら、すぐに引導を渡さないといけない、という立場なのです。
 
「師事している身」という身分が、練習生が競輪界の端くれとして自転車に乗るための命綱なのです。
 

 
競輪学校(現 競輪選手養成所)に受かった後
 
さて、そんなこんなで練習生が師匠の管理下で競輪学校(現 競輪選手養成所)の試験を受け、合格し、無事卒業すると、弟子は晴れて一人前の競輪選手。
 
もうガイドライン役の師匠は必要ありません。
 
…と言いたいのですが、この後も師匠には責任が付きまといます。
 
そう、デビューしてからも、生活であったり、レース内容に問題があった場合、

「コイツの師匠誰やねん!

と、管理責任を問われる事態になるのです(笑)。
 
保護者かよ!(笑)
 
イヤ、ほんとその通りで、師匠は死ぬまで師匠。弟子は死ぬまで弟子なのです。
 
 
ってなると、師匠になるのってリスクしかなくないですか?
 
責任がまとわりついて、やけに面倒くさいだけの師匠という存在。

なんでこんなクソみたいな立場を引き受ける人が居るんだ…。

ナルシストなのか…?
 
なんて思うかもしれませんが、理由はひとつ。
 
 
師匠も、元々は誰かの弟子として競輪界に入っているからです。
 
 
僕の師匠である岡田さんは、僕が練習生だった時代、滋賀支部の支部長をしておられました。

その時期に、非常に悪いタイミングで「SS11騒動」が起こりましてね(騒動を知らない人はggってね)。
 
毎週のように東京の競輪選手会本部に呼び出され、自分のレースも走り、そんな中でぼくの面倒まで見てくださいました。
 
あまりにも激務じゃん…と思ったぼくは
 

「師匠って立場、マジで大変っすね(他人事)」

 
とかいうクソみたいな素朴な疑問を師匠に飛ばしてしまいました。
 
しかし、師匠は一言
 

「まあ、俺も昔やってもらった事やしな」
 
 
と…。
 
 
え、カッコよくね?
 
親が子を当然のごとく育てるように、競輪界も文字通り持ちつ持たれつで成り立っている世界なのですね…。
 
 
さて皆さん、無駄に長文を垂れ流すスタイルの記事はこれにておしまいです。
 
お疲れ様でした。
 
文章まみれの白黒世界から逃げ出そう!
 
フォトグラファー(笑)たむらがこの春撮影した、箸休め的写真を貼って終わりますよ〜!
 
自然の写真で目を休めてね。
 
 



 



 















 



 
うーん、春って感じだ。まあ、もう夏だけどな。
 
 
…いかがでしたか?(破綻した締め括り)
 
 
日頃はTwitter(現 X)を精力的に更新しておりますが、実はInstagramの方も写真倉庫として稼働させております。
 
写真見て「やるじゃん」と思ってくださった方がおられたら、よければ探してみてね…(笑)。
 
 
では、また次回!

1995年3月30日生まれ。滋賀県出身。 日本競輪選手会 奈良支部所属107期の競輪選手。現在はA級2班。同期には新山響平、山岸佳太、簗田一輝など。 ……以上はすべて仮初めの姿であり、本業は某アイドルのプロデューサーであるともっぱらの噂。 ドール、カメラ、声優など、さまざまな「沼」に足を踏み入れている。

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