競輪選手のしきたり|DMM競輪

競輪選手のしきたり

競輪ってなかなかに歴史が長いです。

競輪発祥の地、小倉競輪場にて初めて競輪開催が行われたのが1948年だそうなので、今年でなんと75年!
戦後の歴史はほとんど競輪と共にあり という感じですね。しらんけど。



昭和、平成、令和と時代は流れ、競輪を取り巻く環境は大きく変わりましたよ。
本場開催の客離れ、売上の低下……とかそんな意識高い話…ではないです。

当ブログでそんな正統派な話題が繰り広げられるわけがないんだよなぁ。

俺はもっと日陰に隠れた、しょーもない話題をピックアップして生き残ってんだよ!
舐めんなよ!?(何と戦ってんだ)


ってな訳で、日頃はお客様はあんまり触れることがない、競輪選手のしきたりを紹介します。

その中でも、今回は「時代の流れによって主旨が変わったんじゃないか?」というものをピックアップしましたよ。





これは琵琶湖博物館にいるゾウさん。

はるか昔、滋賀県をはじめとする日本各地にはゾウがいたらしいですよ。

その復元像が琵琶湖博物館に展示されているのですが、想像の倍デカイ!

滋賀県にお越しの際は是非行ってみてくださいね〜。


一応、「歴史」にちなんで画像を貼ったつもりだったんですけどね。
ええ、こじつけですよ。競輪といっこも関係ないじゃんね。

文字だけだとモノクロで寂しいからなんか画像貼りたかったんですよ!
でも良いのが思いつかなかった者の末路です。笑ってやってください。



ってことで、ひとつめに紹介する、競輪選手のしきたりは…。

前検日前日の電話連絡です。


後輩の選手が、参加する同県の選手に前検日前日に電話で

「明日からよろしくお願いします!」

と連絡をするというものです。
(支部によってはメールやLINEでもOKだったりするけど、デフォは電話)


まぁ、これは社会人として仕事前に挨拶するのは自然な話なんですけどね。

ま、それ以外に小ネタ的原因があるんで聞いてください。


これ、なぜ存在するかと言うと、はるか昔の時代に「前検日を忘れていてレースをすっぽかす人」がいたからだそうです。

んな奴おらんやろ〜(笑)と思っちゃいますが、これこそ冒頭で書いた「時代の移り変わり」で意味が変わってしまった文化のひとつ。

というのも、現代では斡旋の通知はメールで送られ、webで手続きをするのですが、昔は往復はがきの投函による手続きだったそうです。

で、そのやり取りに慣れ切ってしまったベテラン選手や、日付を間違えてメモって返信してしまった選手が、前検日を間違えてしまう...という流れがそれなりにあったそうです(だいぶ黎明期の話らしいですが)。


後輩選手は「先輩に連絡しないといけないから、しっかり日付を控えておこう!」ってなりますし、万が一後輩の方が日付を間違えていたとしても、先輩に「連絡してこいや!」と怒られてミスに気付く。

さすがに先輩後輩ともに間違えてたら終わりですけどね(笑)。

実際、複数人が間違える可能性はだいぶ低いので、相互監視が成立する訳です。


しかし、今はkeirin.jpのプロフィールページや、メール履歴で簡単に日程の確認が確認できちゃいますからねぇ。

便利になったもんです。

それでも、社会人的挨拶も含めて文化として残っている、という訳ですね。



競輪選手人生はもうすぐ8年目になりますが、今までに一度だけ前検日を一日間違えていて、前々日に現地入りしてしまい無駄に二泊した選手を見たことがあります。

その選手は、前検日だと思っていた日に後輩から「明日からよろしくお願いします!」と電話が入って気付いたそうですよ(笑)。

前々日に、後輩からの電話が無くても怒ることなく「忘れてんのかな〜」と出発した先輩、優しいですね。

間違えたのが前倒しの方でよかった(笑)。

てか、何だかんだで現代でも機能してるんじゃん!






我が奈良競輪場です。

うーん、歴史を感じる(皮肉)。

写真ネタがないなら貼るなってか? うっせえ! 文字だけだと華やかさが足りねえだろ!(二度目)



では、競輪選手文化の小ネタをもうひとつ。

それは「訓練日」の成り立ちです。


月に一度、選手会の各支部で訓練日というものがあります。

お客様も名前くらいは聞いたことありますか?

支部の月例集会を兼ねて、支部員皆で練習することで単位を取得。年間5回以上(変動あり)参加しないと、黄蘗山での訓練が課されるというものです。

あの、やべー失格を犯したら送られる黄蘗山です。

罪重すぎない?

まぁこれも、月イチ程度は在籍確認がてら所属団体に集うのは社会人として当然のことですよね。


こちらの小ネタも、大昔まで遡ります。

競輪がはじまってから数年間の初期、選手会すら存在しなかったような時代。
初期の競輪選手って、マジでレース以外何をやってるかわからん怪しいオッサン選手ってのが存在したらしいです。

ちゃんと練習しろ! とかそんなんじゃなく、マジで放っておくと野垂れ死んでるんじゃないか? レベルの人がいたらしいですよ(笑)。

ごくごく初期の競輪選手って募集に応募すりゃ競輪走れるような感じだったそうですからね。
社会人意識がないまま選手をやる人もゼロではなかったそうです。

選手会の前身団体ができてからも、自営業という性質上、バンクに来ない人もいたようで。

そこで、選手会が成立した後には在籍確認という名の生存確認のため、訓練日の単位取得が設定されている...という話だそうですよ。


現在では、JKAや選手会の指導や教育が向上していることもあって、ほとんど全員が最低限の社会人意識をもっています。

しかし、色んなトラブルの末に構築されたシステムの上に生きているんだなぁ...と書きながらしみじみと痛感しましたよ。

先輩たちは偉大。



あ、いろいろと偉そうに語ってきましたが、僕本人ががそんな昔の話を知っているはずもなく(笑)。

資料を調べた訳でもないんですが(てかそんか資料ない)、ソースは期前選手を師匠に持つ選手から聞いた話です。

昔話なのでその人がだいぶ盛ってる部分もあるかもしれません! 競輪界は伝言ゲームで尾ヒレが付くのが当たり前ですからね。
責任は持ちませんよ!(なんじゃそりゃ)

まぁ、口頭伝承的なおとぎ話だと思って受け取ってください(笑)。



あ、そういえば競輪漫画に出てくる有名文化のひとつ、「お茶汲み」はご存知ですか?

宿舎で先輩選手にお茶を淹れる後輩。
先輩にお茶の銘柄が〜! 汲み方が下手〜! とか言われてるシーン、競輪マンガにはよく登場するので、ファンの方も知っているかもしれません。

しかしこれ、僕たちの師匠世代は割と全国にあったそうですが、現代では一部地域にしか存在しない文化です。

もちろん、今でも食後の団欒タイムに後輩がコーヒーを淹れる...的な気遣いはもちろんありますけどね。
ドリップではなく、ちゃんとコーヒーセットで淹れる人は「バリスタ」と揶揄され重宝されます。


そんな中で、今でも「茶」にこだわって、銘柄まで拘っているのはほとんど南関だけ(主に静岡)みたいですよ。

さすが静岡人の茶に関するこだわりは凄いぜ...。
静岡競輪場の選手売店にめっちゃ茶売ってるしな。



以上、競輪選手の文化的小ネタをいくつか紹介しました。

最近でいうと、コロナ禍の三密回避のために変わってしまった文化なんてものもたくさんあります。

長い歴史の競輪界、ルール改正や発売方式などお客様に見えるような変化も多々あるように、選手の内部事情も色々と変わってるんですね〜。

我々現代競輪選手は先人たちが積み重ねていったシステムの中で生かされている訳です。



…なんかいいこと言って締めようと思ったけど、なんも思いつかねーや!

ってことで、最後に改めて「歴史」にちなんだ写真を貼ってみます。






出た出た! 結局ラーメンの話かよ!

こちら「歴史を刻め なかもず店」です。

これ食って、頑張って競輪の歴史に名を刻みたいものですね。しらんけど。


ほな、また次回!





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1995年3月30日生まれ。滋賀県出身。 日本競輪選手会 奈良支部所属107期の競輪選手。現在はA級2班。同期には新山響平、山岸佳太、簗田一輝など。 ……以上はすべて仮初めの姿であり、本業は某アイドルのプロデューサーであるともっぱらの噂。 ドール、カメラ、声優など、さまざまな「沼」に足を踏み入れている。

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