自力と追い込み(後編)|DMM競輪

自力と追い込み(後編)

皆さん、んにちわ!!

今年ラストのブログ、よろしくお願いします!


(2021年ラスト開催の別府に行く時に乗った飛行機!)



早速前回の続きからです。

静岡ダービーの準決勝で起きた出来事とは……なんと初めて小嶋さんの番手にまわることになったのです!

僕よりも点数を持っていた岐阜の濱口さんもいたのに、詳しくは言えないんですが、いろいろあり…(苦笑)。

今までは小嶋さんと一緒の時ずっと、自分が前で小嶋さんが番手から発進してきました。
しかし、この時は一次予選と二次予選で追い込みとして勝ち上がったので、お願いして後ろにまわることになったのです。

この出来事が「追い込みとしてしっかりやっていかなきゃいけない」と思った、一番の出来事でしたね。

小嶋さんの後ろにまわることや、濱口さんの前をまわることが、その当時の中部では凄く覚悟のいることでした。
責任ある位置だったのでこの先、生半可な気持ちでやっていったらダメだと。そこをまわるのに相応しい選手にならなければいけないと、決意したレースでもありました。



それからは一生懸命、自分なりの追い込み像を求めて必死に頑張ってきたつもりです。
ただ、ここまで競輪選手を続けてきてひとつ思うのは、いろんな選手がいて当たり前だし、だからこそ面白いわけで。

その人なりの選手像を目指していくのがいいんだと思っています。まわりがアドバイスをしてはいいとしても押しつけるものじゃないのかなとも思います。

さらに競輪はライン競走がメインだし、その当事者たちがお互いを尊重し納得しているのであれば、そのラインの形はいくつもあっていいはず。そのラインの理想の走りができるのが一番だと思っています。

自分なりに、自分たちなりに、ラインにとっての最高を目指して、これからも精進して邁進する所存です。

これからの僕の頑張りと活躍を応援していただけたら幸いです。



最後に今年は久しぶりのA級戦で、思うような成績は残せませんでした。しかし自分を見つめ直すきっかけにもなったし、成長もできたと思っています。

初めて経験したミッドナイトも大変なこともあったけど、楽しさもありました!

今年1年は自分なりに頑張ったぁ~~ていうのが感想です。




(小倉から帰ってきたら金沢こんなんなってました・苦笑)


来年の目標として前期はS級に復帰もできますし、自分なりに今できる精一杯の走りをして、お客様やまわりのみんなを驚かせるようなレースをしたいです!

今年1年本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

来年は寅年! やったるでぇぃ〜!!

1978年1月25生まれ。競輪選手。80期。A級1班。石川県内灘町出身。高校時代にはインターハイ・国体入賞(自転車)、高校総体4000m団体追抜4位に入賞。ニックネームは「内灘の虎」。競輪選手の坂上忠克(71期)は実兄。2009年に実施されたananとJKAのコラボレーション企画「09'KEIRINイケメングランプリ」では、準グランプリを受賞。

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