自力と追い込み(前編)|DMM競輪

自力と追い込み(前編)

皆さん、んにちわ!

先日、奈良の初日に久しぶりに捲りで1着を獲りました。

自分は自力の決まり手を付けたくないというのはありません(人によっては自力の決まり手が付くと、番組で自力選手を付けてもらえず嫌がる人もいます)。
でも追込を主戦法として走っている以上、なるべくなら自力選手と一緒に走ってラインで決めたいとは思っています。

しかし、今回の奈良は先輩に任されて僕が先頭でラインができたので、そういう時はラインで決まるように自力も考えながら走っています。
その結果が捲りでの1着だったんですが、走り方や考え方というのは人それぞれ。過去の経験も含めて、今回はそのあたりのことを書いていきたいと思います!



(小倉に行く時に乗った飛行機! この時期の北陸の天気はこんな感じでずっと曇っています・苦笑)


まず、これは僕自身の個人的な考えなので、選手みんなの考えではないことは承知しておいてください。
あと、少し話が長くなります(笑)。

今は歳を重ねても自力で頑張っている選手は多いですが、僕がデビューした時代は30歳を過ぎて自力で戦っている選手は少なく、自然と僕自身もそのくらいで追込選手になるのかなぁという思いはありました。

先にデビューした兄貴が先行でやっているのを見ていたのもあり、僕もデビュー当初は先行基本。
20代半ばになると捲りも増え、自力にすごく自信を持っていて結構勝っていました。そこから20代後半になるにつれて少しずつ自在へとシフトしていきました。

決して先行で勝てなかった訳ではないんですが、将来を見据えるとその方がいいと思ってやってましたね。今思うと少し早かった気がします(苦笑)。

そうなると追込の決まり手も付くようになり、人の後ろに回ることも増えて、自然とこのまま追込選手に変わっていくのかなと思っていました。しかしまだこの頃はまだ自力で勝てていたこともあって、自力を捨てきれずにいました。

中途半端と言われればその通りの時期でしたね。

今では当たり前のように自力同士が並んで番手の仕事をすることも多いですが、僕らの時代は自力同士が並ぶ時はほぼ発進して番手捲りをするというのが普通。そのため自力選手にはしっかりした追込選手が付くイメージでした。

なので、僕みたいな中途半端な選手は点数があってもなかなか番手を回れなかったし、回るのも失礼だとも思っていました。


何年かそういう時期を過ごしていたんですが、ふるさとダービーの勝ち上がり戦で自在脚質の自分はすんなり中団が取れて、絶対捲れる自信があったのに全く進まず。
止まっているところを後方の若い選手に凄いスピードで捲られ、このクラスでは僕の自力は通用しないと痛感しました。この時からもっと上で戦っていくために、本格的に追込選手を目指そうと考えるようになりました。

それからは初日に任されて自力を出すことがあったとしても、優勝戦などではラインの4番手に回ったりすることに。先輩に前回ってもいいよと言われても、勝てないかもなと思っても、そういう選択をしていました。


これには単純に自力の決まり手をなくしていきたいという気持ちがありました。

しかし、当時この変え方はあまり良く思われておらず、追込に変わる時はガンガンに競りに行って自分の地区の同型選手の方たちに意思表示する必要があったんです。

結局その後も安易に後ろを回る走り方のまま続けていたのですが、静岡ダービーの準決勝戦である出来事が!

その出来事とは……。


長くなったので、この続きは次回やったるでぇぃ~!!

1978年1月25生まれ。競輪選手。80期。A級1班。石川県内灘町出身。高校時代にはインターハイ・国体入賞(自転車)、高校総体4000m団体追抜4位に入賞。ニックネームは「内灘の虎」。競輪選手の坂上忠克(71期)は実兄。2009年に実施されたananとJKAのコラボレーション企画「09'KEIRINイケメングランプリ」では、準グランプリを受賞。

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