【4月15日更新】ここぞで光る熟練技!今なお活躍を続ける「永久選手」【石丸寛之】








いつ見ても格好いい。

若い頃ももちろん格好良すぎだったが、今月30日で51歳になる石丸寛之(いしまる ひろゆき=岡山・76期)は年齢を感じさせない若々しさ。

久留米の前検日には競輪選手ではなく俳優を思わせるような出で立ちで登場した。

格好いいだけではない。

3度のGⅠ決勝進出を果たし、09年にはグランプリにも出場した。

50歳になった今もS級に在籍している。

格好いいだけでなく強さも兼ね備えている。

天は二物を与えたのだ。



「高校時代は陸上をやっていて、寮が玉野競輪場から自転車で10分くらいのところだったんです。自分が入学した直前に卒業した方が競輪学校に合格したのもあって…。知らず知らずのうちに競輪に寄って行っていましたね。陸上で大学からの誘いもあったけど、プロで稼ぎたかった」



競輪の世界に飛び込み、95年にデビュー。

08年12月のGⅠ全日本選抜(西武園)で初めてGⅠに決勝進出すると、強烈捲りを決め同県の先輩・三宅伸のVに貢献した。



「獲れる時に獲っておくべきだったかもしれないけど、誰かの記憶に残ってくれればそれで十分。当時は中部勢が強かった時代。後ろが伸さんで、ワンツーが決まって良かった」



09・10年はS級S班に在籍。

GⅢ優勝は4回と好成績を残した。



「陸上時代にウエートをやって伸びたんです。ウエート信者みたいなもので体を鍛えるのが好き。自分は早い段階からウエートを取り入れていましたね。正直キツいところはあるけど、好きなようにやらせてもらっていますよ。今は初日が良くても2日目に体が動かなくなったりもするから難しい」



取材した久留米の初日は岡山3人ラインの3番手回り。

内を締めるだけでなく、番手選手のように車間を空けて外を張ったりもして捲りを狙おうとした別線を阻んだ。

レース後はバントの構えをしながら「全盛期の川相昌弘さんみたいだったでしょ。岡山出身だったから」と、渋く黒子役に徹した様子を表現した。



「3着で準決勝に勝ち上がれなくても凄く気持ち良かった。自分がやられて嫌なことは相手も嫌だろうから。捲り屋の気持ちが分かるんです」



プライベートの趣味は「嫁と一緒にバイクに乗ること」だそう。

「ブーツに革ジャンにGジャンを着て。岡山から愛媛の山を登って500キロ走ったこともあります」

通算は40Vで457勝。



「500勝したいですね。まずはそこ。あとは3000出走。競輪学校とか皆勤賞だったんです。そういうのも意識しますね。辞める時に後悔したくないし、走れるうちは走りたい」



現在は2751走。

あと249走で3000走に到達し500勝までは43勝。

少しずつ目標に近づいている。

格好良くて強い「丸様」は、まだまだバンクでも輝きを放つ。





【次回出走予定】
4月16日(函館FI)


(情報局記者K)

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