自分語りすっぞ〜! −幼少期、将来の夢編−
第2回です! 田村風起です!
名前だけでも覚えてブラウザバックしてください! できれば記事も読んでいってください!
アニメ『ダンベル何キロもてる?』に影響されてウェイトトレーニング始めました。ミーハーかよ!
はぁ〜! 初回で打ち切られなくて良かったぁ〜!
これで周りに「ブログ"連載"してるんですよ〜」って声を大にして言えるぜ…。
さて、前回ブログ開設の経緯を書いていたら僕のこと何も書いてないんですよね。このままだと
オイオイ! なんか得体の知れない競輪選手がブログ始めやがったぜ!
って言われかねない…。という訳で、今回は僕のことについて書きます!
まず自己紹介がてらではないですが、選手を目指した経緯について軽く触れますね。
僕って家族や親戚に競輪関係者はおろか競輪ファンすらいない中で、しかも自転車未経験で競輪選手になった特殊なパターン。なので、自転車に馴染みのない方にも、少しは親近感持ってもらえるかもしれません!
実は僕、最初は騎手になりたかったんですよ。
小学校の時に競馬のテレビ中継を見て、子供心に馬がデットヒートを繰り広げてるのが面白かったんですよね〜。元々レースとかバトルものは好きだったので。
馬券は買えませんが、コンテンツとして色々興味を持っていく中で、騎手の方が書いたある本に出会いました。
これ、藤田伸二元騎手の『競馬番長のぶっちゃけ話』という本なんですが、騎手生活が面白おかしく描かれていて、騎手ってすっごく楽しそう!と思うきっかけになりました。
「レース時は外部との通信は遮断」とか「全国を飛び回って賞金を稼いで生活」とか、とてもストイックでカッコよく感じたんです。
客観的に見ると漫画みたいな世界観ですもんね(笑)
でも、競馬を嗜む皆さんはおわかりかと思いますが、「騎手を目指す=競馬学校に入る」ためには厳しい体重制限(※編注:受験時の年齢によって差はあるが最大でも48Kg以下)をくぐり抜けなくてはいけません。
まーーーー、僕のこのガタイを見て頂ければ一目で無理とわかると思います(笑)
(あ、余談ですがコレ、この間作ったインナーシャツです! レースの時に着ます!)
騎手になりたい! と思い始めた当時はまだ小さかったのですが、中学生になって身長が伸びてしまい、泣く泣く諦めることに...。
「騎手になれないじゃん! どうしよう…でも賞金稼ぎになりてえ…!」
ゆとり世代を生きる僕だったので、何とかならないものかとすぐにPCで色々調べてみました。ゆとりはすぐGoogleに頼る。
すると、公営競技の選手は似たような職業形態ということがわかってきたんですよね。
「公営競技ってのは他にも色々あるのか。競艇も身長制限あるし競輪にするか〜!!」
これが競輪選手を目指すきっかけでした。
騎手から競輪選手へと路線変更しましたが、消去法ではなく、かなりポジティブな感覚です。
何より「外部との通信遮断&全国を飛び回る賞金稼ぎ」というところに魅力を感じていたので。実際、当時の僕の憧れは、すぐに競輪選手に移りましたからね。
しかし、だからと言って競輪に興味が沸いたわけではありませんでした。競輪を見に行くこともなく、自転車を始める訳でもなく。
高校に進学してからも全く違う競技の部活に入ることになります...。
……あっ!
こいつ! 記事のはじめで「選手を目指した経緯について“軽く”触れますね」って言ってたのに…! 語りモードに入って文字数がどえらいことになりそうだぞ!
今回はここで打ち切り! 閉廷! めでたしめでたし!!
ひじょ〜〜〜に中途半端に切っちゃいましたが、僕、文字書き始めると止まらなくなるんで…。心に宿る物書きとしての「魂〜ソウル〜」が滾るんですかね!?!?
高校入学〜アマチュア生活、競輪学校合格までのエピソードはまた近いうちに記事にします! サーセン!
競輪のことが書きたくてこのブログをやってるんじゃねえんだからな!(言い過ぎ)
とはいえ、僕みたいなA級選手がテンプレ通りに競輪の話をしても、何も面白くないのはホントなので(笑)
次回は趣味に全振りした内容にするぞ…!
待ってろDMMゥ…!
さて、次回からはしっかり尺を考えて記事を書く!
という戒めの心を抱えて、今日のところは眠りにつきます…(たぶん明日には忘れてる)
ではでは! 第3回でまたお会いしましょう!
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1995年3月30日生まれ。滋賀県出身。 日本競輪選手会 奈良支部所属107期の競輪選手。現在はA級2班。同期には新山響平、山岸佳太、簗田一輝など。 ……以上はすべて仮初めの姿であり、本業は某アイドルのプロデューサーであるともっぱらの噂。 ドール、カメラ、声優など、さまざまな「沼」に足を踏み入れている。