仲間の引退とA級降級後の話|DMM競輪

仲間の引退とA級降級後の話

皆さん、んにちわ!!

絶対優勝するぞぉ〜! と乗り込んだ伊東温泉でも結局優勝できず。むしろ、決勝では不甲斐ないレースをしてしまい、結構落ちこんでいました(泣)。

しかし、いつまでも落ちこんでいられないので、これからしっかり練習して頑張りたいと思います!



(伊東温泉の帰りの新幹線。コロナの影響なのか、僕以外誰も乗っていませんでした・汗)


先日、また優秀な選手が1人引退しました。
その選手とは、“尾張の虎”こと林巨人選手なんですが、なんと引退レースの開催で完全優勝!

まさに衝撃の引退だったわけですが、僕としては「こんないいレースができるのに引退はもったいない」と思わずにはいられませんでした。

本人の事情もあるとは思うので、これからの彼の人生を応援したいと思います。

それにしても、あの引退レースには「悔いを残さない」という覚悟が感じられ、刺激を受けた選手は多いんじゃないでしょうか。

僕も巨人に負けないよう、彼の分も覚悟を持ってこれから頑張っていきたいと思います!
巨人も新しい人生頑張れ!!


あと今回は、A級に落ちて刺激を受けた話を少ししたいと思います。

A級に落ちて良かったことがあるとすれば、またイチから競輪を見つめ直すことができたことと、なかなか会えなかった選手に久しぶりに会えたり一緒のレースを走れたことでしょうか。

1月の岐阜の最終日に本村(※編注:岐阜81期の本村隆文選手)と走ったときは、若い頃に冬期移動先の岐阜で一緒によく練習していたのを思い出し、少しジーンとしてしまいました。

レースであまり感傷的になってしまったらダメなんですが、この時はなってしまいましたね(苦笑)。


2月の奈良の決勝で、一丸さん(※編注:愛知70期の一丸安貴選手)と走ったときは、走る前に「久しぶりにタツヒロと一緒に走るのが楽しみ」と言ってくれたのがすごく嬉しかったです。

レースでは僕が失敗して2人とも確定板にのれなかったんですが、レース後の熱いアドバイスも懐かしくて、俺の胸にビンビンに響きました。まだまだ競輪に対する情熱がすごくて、見習わなきゃなとも思いましたね。

昔からの仲間と走れたことで刺激を受けて、まだまだ強くなれる気がしました!

これからもっともっとやったるでぇぃ〜!

1978年1月25生まれ。競輪選手。80期。A級1班。石川県内灘町出身。高校時代にはインターハイ・国体入賞(自転車)、高校総体4000m団体追抜4位に入賞。ニックネームは「内灘の虎」。競輪選手の坂上忠克(71期)は実兄。2009年に実施されたananとJKAのコラボレーション企画「09'KEIRINイケメングランプリ」では、準グランプリを受賞。

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